先月あたりから突然にアメリカ学園青春映画熱が高まり、そのきっかけとなった『アメリカン・スリープオーバー』(2010)を皮切りに『ブックスマート』(2019)、『エブリバディ・ウォンツ・サム』(2016)、『レディバード』(2017)、『キングスオブサマー』(2013)と続けて観る。いずれもこのジャンルの10年代を代表する作品たち。『アメリカン・スリープオーバー』は前から気になってはいたものの観る機会をつくれず、U-NEXTの配信に入ってるのを見つけて今回ようやく観ることができた。主要人物たるティーンたちが皆恋焦がれたいのに、どこか節度があって、無難に落ち着くあたりが10年代以降の青春ものといえるのか?何か起こりそうで起こらない。何かを期待してそこに近づきながら、越えてはいけない一線をちゃんとわかっていて身の丈にあった選択をする。みんなどこか「いい子」。『ブックスマート』も出てくるティーンがみんないい子たちで、それぞれが問題抱えてるからってそう簡単にわかりやすく荒れたりしてない。なんか10代の感覚をそのまま持ち続けていくつになっても自身を「女子」「男子」と自称する大人が増えてきたのが、ティーンの反抗心の芽を摘んでるのかもとか。『アメリカン・スリープオーバー』の原題は『The
Myth of the American
Sleepover』=『アメリカのお泊まり会の神話』。この仰々しさがいい。というか「神話」というには他愛ない恋に煩う=患うティーンのモヤモヤした言動が描かれてることのギャップがいい。いや、神話なんてこんなものか、神々の痴話喧嘩、未練、嫉妬とかそんな。『エブリバディ・ウォンツ・サム』も神話的な味わいがある。美形でスポーツ万能の男たちが酒と女とバカ騒ぎの休暇を過ごす。この妙な多幸感、嫌いじゃない好きともいえる、、、
木場の東京都現代美術館で開催された東京アートブックフェア2023(TABF2023)の最終日に足を運ぶ。すごい賑わい。人疲れしてとても本なんか手に取りたい気にもならない。未知の路傍のzineを発掘したい気もあったけど、早々に挫かれてしまう。自分もブースを出してみようかしら、と実は申し込んではみたものの今年はあえなく先行で落とされた。まあでも、こういうお祭り的なものはどちらかというと苦手ということにあらためて気付かされ、落とされてよかったのかもと。たまたま到着したタイミングで佐内正史氏のトークライブが外のテントで開催されていて、人混みを避けるようにして視聴。「わからないのがよい」というような話を興味深く聴き、新作の『静岡詩』を購入。ご本人にサインをいただき、ビルの入館時に受付で書くような素っ気ない字体にグッとくる。お目当てにしていたやさしいパンちのブースで、やさしいパンちの新作zineとメンバーの一員である霜田哲也さんのやたらゴツい新作zineを購入。遊び心、手作り感、チープ&ローファイ、zineに求める要素が賑々しく詰め込まれていて楽しい。このTABF2023にぶつける形で西荻窪のことカフェでは、都築響一氏主催のプアマンズアートブックフェア(PABF)が開催されていて、TABF2023に行く前日にこちらにも足を運ぶ。こっちの方はずっと小規模で、商売っ気もそこまでなく(そんなことはないか)緩やかな感じ。日本全国の遊郭の跡地を巡って写真に収めた『紅子の色街探訪記』、都築響一の『秘宝館』『ラブホテル』の写真集2冊組特装版などを購入。イベントとしては後者の方が個人的には濃厚。最近zineのイベントは多くなってきているような気がするけども、それだけzineの作り手も増えてきてるということなのかしら。立派な感じのzineが多くてね、たぶん多いと思う。もっと簡素な、A4のコピー用紙を半分に折ってホチキスで2か所パチパチと留めたような体裁が一番グッとくるのは変わらない。nievesの出してるzineは素晴らしい。素晴らしくて惹かれててそこまでいろいろ知りはしないけど好きといえる、、、
好きなものについて滔々と語るということができず、それは多分好きなものをそれほど好きではないからなんだろう。でもまるきり嘘でもない。ある対象について「好き」という感情を持った時に、どの程度の深さなら「好き」といってもいいのだろうか。
公募コンクール『FACE2024』に今年も出品し、今年もあえなく選外。振り返ればもう4年連続して出品しては都度はじかれている。毎年ちょっとずつ工夫しているつもりで、今年は少し大きめ(30号)の作品で臨んだのだけれども、普段はB7サイズのメモ用紙とか大きくてもA4のルーズリーフやコピー用紙を使ってるのでこれでも大きい方で、どうだろう?多少は誰かの目に留まったのだろうか?室内の壁に子どもがいたずら描きしたみたいなドローイングをポスカの白で塗り潰してはまた上描きし、いつまでも壁を舞台に描いたり消したりの攻防を繰り広げ結局ほぼ白い、みたいな作品に『Reversi
on the Wall』とタイトルをつけるつもりが、10文字以内という規定があって『ウォール・オセロ』と名付けて出品。タイトルで落選ということもないだろうけど、どうせダメなら元々用意していた『Reversi on the Wall』かもう一つの候補『Boring
Reversi』で出したかった。いや、作品につけるタイトルにはそんなにこだわりないんだけど本当は。東雲にあるヤマト運輸の東京美術品支店の2階倉庫の一角、搬出つまり選外となった作品の引き取りに行くと、100号やそれに近い大きな渾身の一作と思しき作品を淡々とプチプチなどで覆っているアーティストの卵たちがちらほら。他人の作品をジロジロ見るような図々しさはなく、それはそこにいた誰もがそんな風で、それぞれに淡々と梱包作業をこなしていた。表面上からはそれぞれの胸に去来している想いは読み取れない。そもそもそこまで観察もしていない。「悔しい」「どこがいけない?」「この良さがわからないのか?」とかそういう想いがやっぱりあるのだろうか?自身はどうか?もう少し「悔しい」とかそういう感情があってもよかったのか。『ウォール・オセロ』はちょっとダサかったな、くらいか。
なんだか日々忙しなく映画館から遠のいている。11月に足を運べたのは『悪い子バビー』の1本のみ。が、『悪い子バビー』は観れてよかった。30数年間実の母親によって窓のない家に軟禁され生活していた男が突然外の世界へ飛び出す。陰々滅々とした社会派ドラマのような出だしながら、寂れた地方都市のさらに狭い一角の内で主人公バビーが様々な体験をしていく過程がなんともユーモラスで、ファンタジックな様相を呈していく。罪から逃れようとするほどかえって罪に塗れ、毒されてこそこの世界は美しく見える!この逆説を生きねばならない人の業!世界は美しくもあり汚くもある、世界は優しくもあり冷淡でもある、それは主観によるところが大で、つまるところ世界はないに等しく、あるいはでっち上げることが可能。にしても、その土地はうちの土地だ、とか言っていちゃもんつけて乗り込んでいくような世界は貧しいな、とか。
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