グラビアモデルやセクシー女優をモチーフに、基本的には紫・水色・ピンクの3色のマッキーを使用してのドローイング。女性の裸体をモチーフにした絵画やデッサンやドローイングは数多あるけども、これらには美しく描くとかエロく描くとか何かそういった生(性)を讃えるような情熱はなく。木材やボールやパンを描くのと同じように即物的にただ描いている。むしろ興味は、マッキー=油性マーカーのインクのにじみ、かすれだったり、雑なムラのある塗りだったりする。さらに「描きあげた」ということへの抵抗というのか、懐疑というのか。別のドローイングや試し書きした紙を、いったん描き終えたドローイングの上に貼りつけて剥がす。ダメージを与える。別のイメージを重ねる。何か狙いがあるようで、でも意図がなるべく入らないように、おみくじを引くような気持ちで、貼りつけた紙を剥がす。そうして一体何ができあがったのだろうか?(2026/4/30)
本年1月27日に長年つくり続けている"OPP袋にゴミ詰め"こと"bagging collage"の制作を600個達成。ほんとは先月か先々月にやるべき企画だったけど、600個がはたして切りのいい数字かどうかという疑問もあるけど、いったん区切り、記念して、このライフワークになりつつあるbagging collageを取り上げる。直近の「#596(表裏)」から「#600(表裏)」、計10画像と2019年5月25日に初めて作成、インスタにも初ポストした「#1(表)」から「#5(表)」を紹介。はじめのうちはまだ"bagging collage"とは呼ばずに"袋詰めコラージュ"と呼んでましたね。サイズも画像ではわかりづらいけど、はじめはポストカードサイズを使っていたけど、今は基本的にはA5サイズを使用という変化も。「よし、つくるぞ」という感じではなく、日々の生活や制作の過程で出るゴミをちょいちょい入れていってなんとなくできる、というのがbagging collageの面白さというか続けられている秘密なのかと。(2026/3/29)
これといった意図もなく4つのパーツを組み合わせてみる。4つというのは中途半端で、なにかできそうであと1つ2つ足りないなと思わせる。胴体、両手、両足、頭と6つパーツがあれば人のようなものができそう。でもパーツを寄せ集めて人や動物をつくりたいわけじゃない。意外な組み合わせで見たこともない世界を表現するとか、ペットボトルのキャップで富士山を描いてみせる的なやつとか、そういうものから離れたところでバランスゲーム的に積み上げる?組み合わせる?妙を味わう。足りなさ、何かに見えそうでなにでもない、抽象と具象の間に挟まったほうれん草のカスみたいな。(2026/2/28)
特に意識したわけではないが富士山の絵葉書にばかり年明けしばらくドローイングを。いや2~3枚描いたらやっぱり意識する。新年らしい、初夢っぽい。干支の馬も描いたらいい。一富士二馬三ボル。唐突だけれども、ドローイングによく登場させる横向きの坊主頭の”あいつ”は名を”ボル”という。由来は知らない。どうぞ以後お見知りおきを。蛍光の油性マーカーは富士をバックになかなか映えるのではないかしら。美しい風景に試し書きメモの落書き風を添えて、遠近のバグ、平たい奥行き、そんなポストカードになっているか。(2026/1/31)
2025年が終わる。2026年もあと1年ちょっとしたら終わる。毎年、毎年が終わる。何かが終われば何かを始められる気がする。そういう気持ちになりたいがためにいったん何かを終わりにする。終わりというのは都合がよい。傑作も佳作もない言うならば駄作すらもなくただポップコーンがはじけるように日々ポンポンと生み出されては消えていくドローイングpieceたち。年末に床に落ちたポップコーンを拾い上げてみる。1月から12月まで各月1点のドローイングを。今年はダメージを加えたり、丸シールを用いたり、試し書きメモ風を取り入れたりと。意外とこうして振り返ってみると健気にドローイングに尽くしていたような気も。年が終わってもドローイングは終わらない。まだ続く。いったん2025年のベストではない気まぐれの12piecesをお楽しみいただければ幸いです。(2025/12/30)
昭和の観光地絵葉書をフリマで手に入れて、ポストカードにもっとドローイングをせよ、とでも背中を押され。紙媒体好きのマニアではないので、美麗な観光地絵葉書に躊躇なくグラビアアイドルを雑に模写したドローイングを描けてしまう。台無しの美学。蛇足の美学。そこに美学はあるのだろうか?12月の個展は、Postcard Drawingsで。2025年年の瀬、行ったこともない(中には行ったことあるとこも)土地の美しい景色や歴史あるランドマークをそれらと全く無関係なドローイングで上描く。2025年はすでに思い出、振り返るんじゃなくてくだらないドローイングで上描こう、とか。※今回のgalleryのポストカードはイタリアと中国がメイン(2025/11/30)
歴史を感じさせるヨーロッパの街並みや建物、または近代的なアジアの建築群、まさに完璧と言いたくなるような構図で撮影された写真がポストカードになって。リサイクルショップの棚に未使用紙モノというだけの共通項でノートや塗り絵やシールなんかと並んで。ほのかに香る観光フェロモン的なものについほだされて購入したものの、出す相手などいない。今時手紙を出すこともない。匿名的にプロフェッショナルな観光地ポストカードのつるつるの隙のなさに、まったく無関係な、まったく地の写真を無視した、まったくどうでもよいドローイングを。ドローイングは必要としないところにカビのように現れる。(2025/9/30)
今年の夏はひときわ暑いのか。都心の連続猛暑日の記録が10日を超えて、過去最長を更新したとのニュースも先日あった。体温を超え、ぬるめの風呂にずっと浸かっているようなもんなのか。ぬるめの風呂に浸かっているなら身体の疲労回復によさそうなものだが、当然疲労はまったくとれないどころか蓄積されていく。SNSのリールやkindle unlimitedで見かけたグラビアアイドルのイベント告知のポストや写真集から、水着姿や下着姿でお決まりのポーズをしている画像をスクショしてドローイングのモチーフにする。夏でも冬でも季節に関係なく水着姿や下着姿でお決まりのポーズをしている。もはや夏らしいということでもないのだけど。お決まりのポーズをするグラビアアイドルをコップや果物みたいな静物画風にただ描く。丸シールや試し書き風とmishmashして一層季節感から遠ざかる。(2025/8/31)
文具コーナーのペンの試し書きに惹かれる人は結構いるんじゃないか。私もその一人。ペンの書き味、色の具合、ペンの持ちやすさなんかを試すために、備え付けられたメモ用紙にペンでグリグリ線を引く。「あいうえお」「こんにちは」とか文字を書いたり、シンプルなうさぎやネコのキャラ絵を描いてみたり、好きな人や嫌いな人の名前を書いたり。いろんな人が試し書きの名のもとに一枚の紙に線や字や絵を書き(描き)、意図せず出来上がる、いや出来上がりはしない、その匿名のコラボドローイングは、完成などしないゆえに、匿名ゆえに美しい。それを再現したいと思いながら、でも一人で試し書き用紙のドローイングを再現するのは嘘だな、白々しい。なるべく頭を空にして、その都度ほんとに試し書きをするつもりになってグリグリしてみたら、それっぽくなるかも。いやそれでも白々しい。そんな試し書きドローイングの試行錯誤。(2025/7/28)
実際に丸シールは何に使うためのものなのかよくわからない。よくわからないが、無駄のないシェイプ、有無を言わせないカラー、整然とシートに並んでいる姿、丸シールは丸シールとしてただあるだけで魅力的。「丸シールアート」というのを実は最近知ったが、あれは丸シールで描く点描画で、「別に丸シールは絵になんか貢献しなくていいのに」と思う。丸シールは丸シールとしてただあるだけで魅力的なんだから、ともう一度言う。丸シールの魅力は、ドローイングに脈絡なく貼ると、突然暴力的に見えるところ。丸いのに全然穏やかな感じじゃない。ドローイングの中で暴れる!攻撃してくる!そういう丸シールのワイルドなというかプリミティブなよさを、なるべくそのままドローイングに持ち込みたい。(2025/6/29)
「愛犬飼育コーチング」というチラシが塀に貼られているのを見つけた。新緑をバックに女性がにこやかに犬を抱いていて、その周りをかわいらしい子犬が囲むようにコラージュされている。チープなデザインに惹かれてそのチラシを写真に撮り模写してみる。描いてみるとチラシでは下の方に埋め草的に配置されていた三匹の犬が、吠えもせず愛嬌も見せず何やらじっとこちらを見て思索に耽っているように前景にせり出してくる。三匹の犬は不意にドローイングに現れて、「見ざる聞かざる言わざる」のように私になにか道徳を説くようでもあり、いや、何をそんな。ただ「吠えなければ賢そうに見える」という私の内面にあるずるさの表れなんだろう。(2025/5/25)
何か描いてみようとするとき、まず顔を描くのは描きやすいから?顔を描くのは楽しいか?顔は個性的?などと考えていたら、顔についてはハンコのように描くくらいがちょうどよく思えてきた。一方で無機的な図や単なる線を無機的じゃなく雑に、手慰みに描くのがしっくりきていた。顔=Faceと円錐の輪切り=Pattyと管=Pipe、意味のない3つの素材が平面上に寄せ集まってしまった。それらを適当にブロックのように組み合わせる。こんな風にしてもドローイングはできてしまう。そこにどんな情熱があるのだろうか?(2025/4/19)
『HISTORIC COSTUME IN PICTURES』という画集を古本屋でだいぶ前に購入し部屋の隅に放置していた。前回のgallery「Drawings on a damaged paper」のようなpiece制作を続けていく中でなにか一味加えたくなり、なんとなくその画集を手に取り、これを使ってみるのもよいかと。ひらめくようなアイデアというものはないのではないか。身近な無用、不要、取るに足らないもの、くだらないもの、消耗品、こうしたものをなんとはなしに寄せ集めて、何かが生まれる。そういう制作方法。そういうわけで無用、不要、取るに足らないものなんかをなるべくそばに置いておくほうがよい。歴史的な衣装になんか別に興味はないのである。(2025/3/15)
年が明けてからというもの紙を傷めつけてはボールペンやマーカー、修正ペンで傷口に塩を擦りこむようなドローイングをしている。何かアイデアが浮かぶ前に描き始めて、着地点が見えてくる前に終えるようなドローイングをしたいものである。(2025/1/26)
ドローイングをライフワークとしてやっていくと決めて5年目の今年、一つの区切りとして個展『The Worst of The kamonpoi』を7月に開催。5年分のメモ用紙やノートに描き散らしたドローイングpiecesやmishmashをぶちまけた。ありがたいことに多くの人に足を運んでいただいた。感謝しかない。放出した後もドローイングは日々続く。傑作、代表作なぞ生まれる訳もない。ポップコーンのようにはじけて日常の胃袋に消えていくドローイングたち。1月から12月、各月から1点チョイスしてみる。ポップコーンの中のポップコーンは、やっぱりただのポップコーン。(2024/12/31)
半分ご飯、半分ルーにしておけば、ひとまずカレーライスのように見える。最も大衆的な日本の料理カレーライス。ドラえもんを描くみたいにカレーライスを描いてみたらどうだろうか。カレーライスを「カレーナイス!」と言ってみて、明るく楽しく雑なドローイングをしてみたかった。 (2024/11/11)
インクが切れかかっているマーカーでごしごしドローイングするのが好き。新品のマーカーでドローイングするときは、早くインクがなくなるのを期待している。 (2024/09/29)
I like to draw with markers that are running out of ink. When I draw with a new marker, I expect the ink to run out quickly. (09/29/2024)
7/5(金)~10(水)、都内での初個展『The Worst of The kamonpoi』(新宿眼科画廊)が無事終了。kamonpoiとして2019年から活動を始めてこの5年間ほどのdrawing workを出せるだけ出して、これでいったんリセット。という気持ちもあったが、以後も変わらずメモ用紙や手近な紙にマッキーやボールペン、色鉛筆で他愛ないいたずら描きを続けている。あまり考えすぎず、気負わず、奇を衒わず、自身の日常をそのまま受け入れながら排泄するようにドローイングする。そんな風に引き続きやってったらいいんじゃないか。ほんとに?そんなすっきり、達観した感じでドローイングし続けられるか?仙厓の禅画を観て、「よし、俺はマッキーで仙厓みたいなドローイングを描いて受けてやるぞ」とかいう俗な野望が芽生えたり。自身の姿勢やテーマとかそう簡単に見つけられない。そもそも自分で見つけるものだろうか?ブレ続ける。そこは変わらない。7月から8月にかけてのブレるドローイングの欠片たち。 (2024/08/31)
4色ボールペンの黒を除いた赤・緑・青の3色の組み合わせに惹かれる。光の三原色であるところの赤・緑・青はいろんな割合で混ぜればいろんな色ができるけれど、ただ赤は赤、緑は緑、青は青でそれぞれ単色のまま特に混じるでもなく、絡まった釣り糸みたいにごちゃごちゃしてる様に惹かれる。描かれるモチーフはそれぞれ無関係で、ただ糸に絡み取られたみたいにたまたま描かれる。 (2024/06/02)
I am attracted to the combination of three colors: red, green, and blue. The three primary colors of light, red, green, and blue, can be mixed in various proportions to create various colors. But I'm fascinated by the way red is red, green is green, and blue is blue, and each is a single color, not mixed, but jumbled like a tangled fishing line. The motifs are unrelated to each other, and they just happen to be drawn as if they were entangled in a thread. (06/02/2024)
気が付いたらもう丸5年ほど続けている。A5サイズのOPP袋に日々の生活で出るゴミなどを放り込み、袋詰めの生活コラージュ=bagging collageという作品なのか、いや日記のようなものとして作り続けている。好きでないものや不要になったもの、失敗したものなんかをデスクの上から払いのけていくわけだけど、デスクの下に落ちてみると急にそれらが輝いて見えてくることが多々ある。自分の選択基準なんて頼りにならないなと思う。捨てて、見つけて、拾う。 (2024/04/20)
Before I knew it, I had been doing it for about five years. I toss garbage from my daily life into an A5-sized OPP bag and continues to create a series of diaries-like works called bagging collage. Brush away things you don't like, things you don't need, and things that you don't want to mess up on your desk. There are many times when things that have been brushed away and fallen under the desk suddenly become shiny. I don't think my selection criteria can be relied upon. Throw it away, find it, pick it up. (04/20/2024)
半年近く、もしくはそれ以上ほとんどZEBRAのハイマッキー(油性マーカー)を使ってドローイングしている。ハイマッキーでもこんなアートな使い方ができる、ということには興味がなく、そもそもそこまでのスキルもない。上履きに名前を書くみたいにドローイングできるのがいい。安い紙にゆっくり線引いてインクを染み込ませ下の紙に裏移りしたりもいい。描いた後に紙を裏返して見るのもいい。色数が12色なのもいい。太ペン先をうまく使いこなせないのもいい。 (2024/03/16)
For six months or more, I have been drawing with oil-based markers(Hi-Mckee,ZEBRA). I'm not interested in using oil-based markers to create artistic expressions. In the first place, I don't have the skills to use it that much. With an oil-based marker, I can draw like writing my name on my shoes. It's also good to move to the back. It's also good to see it from the back. It's also good that there are only 12 colors. It's also good that the thick nib is difficult to use. (03/16/2024)
うちに猫が2匹いる。1匹からはなつかれているけど、もう1匹からは嫌われている。なので、なつかれている方の猫をモデルにして描くことが多い。けれども、描かれた猫を見てもどっちの猫なのかは区別がつかない。そういう風には描いていない。(2024/02/03)
I have two cats at home. One of them likes you, but the other hates you. Therefore, I often draw cats that like me as models. However, if you look at the drawing of the cat, you will not be able to distinguish which cat it is. I don't draw it that way. (02/03/2024)
2023年のドローイングピースたちを振り返る。日々のドローイングピースたちは生活の垢みたいなもので、他愛のないもの。技巧や情熱やルサンチマンを離れたところで、一体どんなドローイングができるもんなのか。ポンポンと次から次へとはじけるポップコーンみたいにドローイングを描き散らし、傑作、代表作なんてつくるもんかと。12点のピースたちは、1月から12月まで月毎に1点チョイスしてみたけども、それは年末の気分で選んでみただけ。(2023/12/30)
壁に描かれた落書きに惹かれる。グラフィティというもはやすっかり確立されてしまった表現以下の。幼児が手近に紙がなくて壁をキャンバス代わりに天衣無縫に描くような。それら落書きは、落書きをノイズ、汚れとしか見ない人たちにより消され、塗りつぶされる。一見白さを取り戻した壁。その下の層からうっすら浮かぶ落書きの跡。それは新たな落書きを誘う呼び水になる。そうして落書きがなされ、また消され、を繰り返し。黒と白の陣地どり、まるでオセロ=リバーシのような攻防。そんなイメージで。(2023/11/23)
2023/10/6~10/10、美学校スタジオ(神保町)にて開催中の美学校「生涯ドローイングセミナー」2022年度修了生によるグループ展『ドローイングその後2023』に、惜しくもというかその時の気分で漏れてしまったドローイングpieceたちを、自室の壁と窓にて弔い展示もしくは壁打ち展示!(2023/10/8)
グラビアを見る口実としておまけでドローイングをしているようなあまりにだらしないドローイングたち。
エロからはもっと離れて、もっとだらしなく、もっといい加減にドローイングしたい。
Too sloppy drawings that seem to be drawing as an extra as an excuse to see gravure.
I want to draw more away from eroticism, more sloppy, more carelessly.
(2023/9/3)
ここ1年くらいの日々のドローイングから。新装開設であらためてご挨拶、自己紹介代わりのpieceたちです。
These are drawing works from the past year. In conjunction with the opening of the new look, I would like to introduce myself again.
(2023/7/2)