映画はねむい 2024年2月

  • アリ・アスターの新作『ボーはおそれている』を映画館にて。過去2作、『ヘレディタリー』『ミッドサマー』に満ちていた不穏さはそのままに本作はコメディ。おかしいんだかおかしくないんだかわからないギャグの詰まったロードムービー風味になっていて、モンティ・パイソンの『ホーリー・グレイル』やファレリー兄弟の『Mr.ダマー』、コーエン兄弟の『オー、ブラザー』なんかを想起したり。解説読むとスティーブ・マーチンとジョン・キャンディ共演の『大災難』の影響もあるらしい。アリ・アスターがジョン・ヒューズのコメディを挙げてくるのにちょっと驚き。主人公が酷い目に遭い続けるというストーリー、嬉々として書いたんだろうなとか想像する。テーマは変わらず小さな共同体、本作では『ヘレディタリー』同様家族、におけるどうにもならないしがらみで、主人公は抗ってはみるものの結局は大いなる力に屈服してしまう。このなんともならなさ。無力感。そこに独特のカタルシスがあるとも。コントとしかいえないような状況(例1.男が浴室の天井に張りついている 例2.少女が目の前でペンキを飲んで自殺する 例3.再会した初恋の女が腹上死する)も誇張はされてるものの案外現実世界ではこういう状況が至る所で起きているとも言える。取ってつけたような感想。ボーの旅路はスラム→郊外→森のコミューン→生家の四幕で構成されていて、それぞれの舞台にふさわしい地獄が待ち受けるという感じなので長いけども割りとわかりやすい。アリ・アスター作品の中では最も見やすいとも言える。取ってつけたような感想。『オオカミの家』で注目されたチリの映画作家コンビ、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャによるアニメパートは映画中盤のちょうどねむくなる時間に配置され、まんまとうつらうつらしてしまう。そもそもが夢想幻想的な演出だったかと思うので、これはこれで正しい鑑賞と言い聞かせる。
  • アマプラの東映オンデマンドで、70年代のピンキーバイオレンスと呼ばれている映画をちょこちょこ観ている。向島にある大道芸術館で月に一度だったか開催している「向島版金曜ロードショー」という上映会で『ずべ公番長夢は夜ひらく』を上映したというポストをXで目にしたのがきっかけだったか。声に出したいタイトル。『ずべ公番長』はシリーズ4作つくられていて、『~夢は夜ひらく』が1作目、あと順に『ずべ公番長東京流れ者』『ずべ公番長はまぐれ数え唄』『ずべ公番長ざんげの値打ちもない』、いずれも声に出したいタイトル。『〜はまぐれ数え唄』以外は当時のヒット曲から拝借(タイアップ)。シリーズ通して大信田礼子演じるリカが主役。矯正機関を出たり入ったりしているリカが娑婆に戻ってくる、更生を誓ってまともに働こうとするも、恩義を受けた人が困っている(ヤクザに脅されてたりする)のを見かねて一肌脱ぐ。4作とも大体そんな話。一般社会においては素行の悪さから不良のレッテル貼られるんだけども、実は義理堅くて曲がったことが嫌いという主人公が活躍するプロットは任侠映画っぽい。任侠映画のことをよく知らないので「ぽい」とつける。義理人情が描かれてれば、概ね任侠映画っぽいといってはずれじゃないように思う。寅さんも同じプロットか。寅さんにパンチラやポロリを足して、純情を引いたような感じか。いい加減な。
  • アマプラオリジナルでエメラルド・フェネル監督、バリー・コーガン主演の『Saltburn』を。名門オックスフォード大で出会った中流階級出身のさえないガリ勉と上流階級出身の金持ちのイケメンとが親友になんかなれる訳もなく、というサスペンススリラーいや、ブラックコメディ。ポン・ジュノの『パラサイト』に同性愛的要素が入った今風な作品。とこんなに安易に紹介してよいものだろうか。バリー・コーガン演じるガリ勉のひねくれ度合いが凄まじく、野心家なのか単なる異常者なのかよくわからない。彼が憧れ、恋焦がれたイケメンは、同時にいけすかない階級に属していて、イケメンへのねじくれた愛が彼を暴走させる。格差社会における愛の悲劇とでも。バリー・コーガンがフルヌードも辞さず嬉々として、いや気迫たっぷりに主人公を演じていて一番の見もの。憧れの彼が入った後の浴槽の排水口に口づけしたり素晴らしい。上流階級に属する一家が落ちぶれていく、崩壊していく話に惹かれるのだけども、『太陽がいっぱい』もそんな話なのかなと観てみる。初見。アラン・ドロンが財産目当てに金持ちの友人を殺害する。上流階級一家が落ちぶれるというより、下流階級の若者が成り上がるために完全犯罪を画策する話でちょっと期待してたのとは違う。上流階級一家が落ちぶれる映画ということならここは『安城家の舞踏会』が白眉かしら。20数年振りに再見、やっぱりうっとりするような上流階級一家落ちぶれ映画。上流階級一家の面々を決して嫌味な感じに描いてないところが好ましい。金持ちが落ちぶれていい気味だなんて思いたいわけじゃなく、プライドが邪魔して変化に適応できず落ちぶれていく様が、なんだか恐竜が絶滅するような過程を見せられてるようで深遠さを感じさせるような。